[映画]丘を越えて

ことしは菊池寛生誕120年、没後60年だそうです。
切りのいい年齢で死なれると、生誕と没後の記念を一緒にするはめになり、ゆかりの場所は残念でしょうね。


あらすじを簡単に
女学校を出た葉子は友人のツテを頼り、文芸春秋社の面接を受ける。
社員としては採用されなかったものの、社長菊池寛の個人秘書の仕事を得る。
「モガ」然として洋服を着込む葉子だが、生まれは竜泉寺という生粋の江戸っ子。
菊池とともに訪れるダンスホールや銀座の街、帝国ホテルはまぶしく映った。
そんな葉子に「好きだ」と告げる朝鮮の貴族階級出身の編集者馬海松。
菊池もまた、若さ溢れる葉子の魅力に「恋に落ちる」のだった。



ま、とにかく物語をとやかく言う前に、


なんだこの編集は!!!



宮本輝が作家デビューする前、小説の書き方を習いに行った先で学んだことは、どれだけ文章を省けるかと言うことだったそうです。
伝えようとすると書きすぎるのが表現者の常ですが、読み手は書かなかったところにこそ自身の想像力を働かせる余地があります。
それが「作品を楽しむ」ということだと思います。



が、ですよ。
書かなさすぎるのもまた罪です。
この作品は、重要な場面転換すべてで、あと1シーンが足りません。
見る側が想像するにも限界があります。


象徴的な1シーンが菊池と鎌倉の宿に泊まった夜。
2人はどうなったのかを観客に説明せず、朝帰りを家の前でずっと待っていた馬に「何もなかった」と言っても、こっちが納得いきません。
色街らしき町の育ちで、三味線を弾きながら春も売っていたという過去をあっけらかんと娘に伝えるような母親に育てられている環境から、葉子が女の手練手管に長けていても何の不思議もありません。
本当に何もなかったのか、何かあって馬にウソをついているのか、というポイントは葉子のキャラクターにとって重要なポイントで、そこが描けていないと言うことは、映画が何も伝えようとしていないのと同じことです。



「モダン日本」の創刊が昭和5年。
ちょうど日本史として取り上げられにくい時代を扱っているのは面白いと感じましたが、とにかく見終わって「???」という気持ちにさせてくれます。
文春におもねるためだけに作った映画なら、一般公開は止めてほしいものです。



金額で評価すると   (標準  ¥1500)



¥800



です。



猪瀬直樹直木三十五を演じるのに抵抗なかったんでしょうか?




公式HP
http://www.okaokoete.com/