[その他]マスコミの自己責任

マスコミ、特にテレビの衰退が表面化しつつあります。
このアドレスは「痛いニュース」なのですが、
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1118857.html


・テレビ番組に対するスポンサー離れが進み、広告が集まらないこと、
・あまつさえ自社広告を打っていること、
・視聴率の合格ラインが2ケタ(10%)にまで下がっていること、
・高校生以下の世代に、テレビ離れが進んでいること
などを教えてくれます。



たかだか2ちゃんと思うなかれ、コメントはまともです。
いわく
「テレビ、つまんねえよ」



一つの局でクイズが当たれば同じような番組をつくり、どこの番組でも同じような芸人を使っています。
その時の視聴率だけあればいいというのが透けて見える番組ばかり。
ぼくもテレビを積極的に見ようと思わなくなりました。



根底にはテレビというかマスコミへの不信感があるんでしょうね。
ドラマやバラエティーだけでなく、報道番組まで含め、作り手が愛情を失ってしまったとびしびし感じるテレビすべてに対する信頼感の喪失。
もちろん、新聞も例外ではありません。
なぜなら彼らの記事や放送が、真実である担保がどこにもなくなったからです。



例えば「きっこのブログ」でも取り上げられたmixiの日記です。



世界最低の国、日本 2008年04月27日00:39
聖火リレー、行ってきました。
4/26日を振り返ります。


早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。


(中略)


出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「......ご協力お願いします。」


は?
それやらせじゃん。
中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。


この後TBSの取材が来た。
チベットサポーターの1人が、
日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
アナウンサーは「は? 勝手に叫んでれば?」
と吐き捨てて消えた。


街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。


(中略)


帰りに携帯でニュースを見た。
聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」
聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」


僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。


あの怒号は、僕らが受けた痛みは、彼らの悲痛な叫びは、どこに反映されたのだろう。


警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、
そこをマスコミは撮影し、
中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。
これが日本のやることか?



この続きも中国にしっぽを振り続ける日本政府に対する怒りを書いてくれていますが、申し訳ありません、ちょっとはしょります。
興味がある方は以下のアドレスに(mixi会員のみ閲覧可能ですかね)。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143



マスコミの真実なんて多分こんなモノなんでしょう。



かつて絶対的に情報を支配してきたマスコミですが、その支配基盤は大きく揺らいでいます。
事件現場に出掛けた一般人がネットを媒介して情報を提供できるようになったからです。
情報源が複数あるため、そこから自分で真実だと思うものを選択できます。
「記者だけが見た」という状況がかつてに比べ格段になくなってきているのです。
そのことに気付かず、ただ「マス」に対して情報を提供できるツールを持っていると言うだけで威張りちらすマスコミ。
こういうのを「裸の王様」というのでしょう。



ネットはあんたたちの「特権」を侵食しているんですよ、気付いてますか?
あんたたちの給料の元、広告料はネットに流れているんですよ、気付いてますか?


残念ながらマスコミは今、「市民の代弁者」ではありません。
そうなるにはあまりに大きく、また権力に近くなりすぎたのではないでしょうか?
地方紙にしても、権力に反する記事を書くことは困難です。
例えば警察裏金問題を大きく取り上げた北海道新聞高田昌幸記者は、なぜか現在ロンドン駐在記者です。
http://newsnews.exblog.jp/
同じ問題を取り上げた高知新聞の記者は、特オチ(事件や事故で、1社だけ原稿が掲載されていない状況)をすることもあったそうです。



そんなリスクを冒さなくても十分な収益を得ているのであれば、わざわざ冒険するのはあほらしいと思うんでしょうね。



そして記者の質の低下。


先日の光市母子殺人、高裁判決後の被害者遺族・本村洋さんの記者会見での一幕です。


朝日新聞の女性記者
「すいません、朝日新聞です。今回の少年は18歳で前科がなく、二人を殺害した事で、それが死刑判決になると、今後こういった厳しい量刑が続くと思います。
死刑に対するハードルが下がる事についてどう思われますか?」



これに対する本村さんの回答
「そもそも、死刑に対するハードルという考え方がおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑に課す事が出来ます。それは法律ではない、司法が勝手に作った慣例です」


う〜ん、死刑に対するハードルですか…。
もしそんなものがあるとして、
それを被害者遺族に質問するか??
頭がちょっとおかしいんじゃないでしょうか?


本村さんは一遺族としての意見をこれまで述べてきたわけで、それを受けて司法判断を変えるかどうかはあくまで「司法の問題」。
まるで本村さんが死刑のハードルとやらを操作できるかのようなものいい。
それは最低でも司法に対してぶつける質問ですし、もちろん司法は本村さんと同じ返事をするでしょう。
18歳と30日、つまり1カ月前なら死刑を科すことができなかった少年に対する死刑の是非が問題になりましたが、結局それも「18歳になったら死刑を科せられる」という法律に従った判決が下っただけです。


記者会見というのは長い時間とることはまれですから、特にこんな大きな事件の場合1社につき質問できる回数は限られています、例え大新聞社であってもです。
彼女にとっては練りに練った質問だったんでしょうか…と思って、翌日の朝日を読むと
2面「時時刻刻」にて
「死刑 新たな基準」
その隣の記事の見出しが
「『永山基準』踏み出す」。
そうか、彼女はこんな社の意向にそって取材をやっていたんですね。
そりゃ「アカヒ」と言われますわ。



聖火リレー問題、国会の混乱問題、
もっといえば
「(日銀総裁人事を承認しないことについて)民主党のやり方は強引だ」
と述べる福田くんが、参院論議が終わっていないガソリン税暫定税率復活を衆院の数の力で強引に決めたことをまったく言及しない姿勢についての分析
などを全くやらず、
亀田家問題、倖田來未問題を大々的に取り上げる。
後者の方こそ「ほっといたれや」です。
とりあげなくても発言や態度に傷ついた人は彼らから離れていきます。
彼らが支持者を失うことはチケットやCDなどの売り上げに直結するわけで、ほっといても彼らは罰せられることになります、組織票とオヤジの遺産が存在する国会議員と違ってね。



テレビは見ないぼくでも新聞は読みます。
ただし文化面をね。
そんなふうにぼくをしてくれたのも、マスコミなんですよ。
首は勝手に自分で絞めなさい。