[時事]君たちが死ぬくらいなら、他にもっと死ななきゃいけない大人たちがいるんだぜ、ぼくを含めて

子どもたちの自殺の報道を聞くのは、正直しんどい。
子どもを持つ親としてもそうだし、一人の大人としてもそう。
教育制度を改革すれば、こんな悲報はなくなる、なんて、例え安倍総理でも思いはしないでしょう。
何かが間違っている、という認識を持ちながら、何が間違っているのか分からないから、むやみにバタバタしてしまっている。
そんな印象です。
もう官僚や一部の知識人に、特に教育制度を改革させることは止めましょう。
彼らは少なくとも、現在の教育の流れに置いて間違いなく勝ち組なんですから。
勝ち組が負け組のことを心底考えて改革を進めてくれるなんて、3000年の歴史をながめてみても奇蹟に近い確率ですから。


でも、一度「自殺」というニュースが流れると、あちこちで同じニュースが飛び交うのはなぜでしょう。
かつて、岡田由希子さん自殺の時もそうでしたが。
結果的にですが、死を促す報道ってなんなんだろう、と考えさせられます。


直木賞作家・角田光代の「キッドナップツアー」を読みました。
小学生の女の子が、離婚して家を去った父親にキッドナップ(誘拐)されて、旅をする物語。
女の子の感情の揺れがぼくが思っていたよりも穏やかで、逆にこわかったです。
女の子が自分にできることの範囲を分かっているし、範囲を超えたとしてもちょっと壁から顔を覗かせる程度。
こういう言い方はしたかないが、「今の子」ってやっぱドライなんでしょうか?
読後、いい意味でも悪い意味でも「何も心に残さない」作品でした。


ついでに「DEATH NOTE」読了です。
もちろんこの漫画のテーマは「死」ではなく「知的駆け引き」なわけです。
ノートに書かれて死んでしまう人たちの顔もバックグラウンドも見えず、作中「大量虐殺」があるなんて感じがありませんでした。
無味無臭。
でも、「死」を操れるということが漫画のキモでもあり、悪い言い方をすれば「死」を商品化した作品。
めちゃめちゃ面白かっただけに、こんなテーマでも楽しめるぼく、あるいはこんなテーマだからこそ楽しめる自分に若干の嫌悪感を感じました。


文字の「死」に慣れ過ぎて、現実の「死」まで軽くなっています。
ひょっとしたら「いじめ」をしていた子どもたちは、10年後には自分らが引き起こした「死」を忘れてしまうかもしれません。
なんせ、文科省の統計によると、「いじめ」による子どもの自殺者は1人もいないそうですから。


だから、子どもたち、君たちは、絶対に死んではいけません。
学校が辛いなら行かなくていい。
きっと君たちを必要としてくれる人がいます。
お父さんでありお母さんであり、未来の恋人であり。
死が君たちにくれるのは「安寧」ではなく「未来の断絶」です。
だからどうか、子どもたち、死なないで、絶対に。