[時事]コメントへの返事

昨日の書き込みにコメントを頂きました。
ありがとうございます。
それに返事する形で書き込みたいと思います。


まず、ぼくの書き込みが30歳のコモンセンス的な考え方かどうかと言うことも非常に悩むところではあります。
ただ今週号の雑誌「スパ」に掲載している勝谷誠彦さんのコラムには非常に強い違和感を持っています。
皇室に対する捕らえ方が、ぼくとまったく違っているからですが、興味のある方はご一読を。


先に歴史認識のことですが、ぼくの考えでは、2000年以上(年数の数え方にもいろいろな意見がありますが)の歴史と言うものを持つことができたのは、結局日本が島国であったからという一点に尽きると思います。
日本に次ぐ歴史を持つ国が英国であると言うことも、ぼくの認識を強くさせます。
あくまでぼくの意見、と強調しますが、日本の歴史とは数字の積み重ねだと思います。


そんな中で、天皇家という一家族が、絶えることなく(ここも議論の焦点になりますよね)連綿と続いてきたと言うことは奇跡的なことではありますが、天皇に代わる力を持つ勢力が現れたとき、鎌倉時代になるときですが、既に朝廷が「権力」ではなく「権威」になっていたのではないでしょうか。
力が重視される時代になり、神の世は終わったのだと考えます。
後醍醐天皇の王政復古にしても、結局パーソナリティーによるところが大きく、確たるバックボーンがないがために短命に終わりますよね。
武士には「神」の権威がないために、朝廷を利用します。
長い歴史は「もちつもたれつ」の図式でできあがっていたのではないでしょうか。


これを踏まえて、では日本人とは何か、という問題ですが、日本と言う大きく4つの島が集まったエリアに住み、1000年超の歴史と文化を共有する人間のことだと思います。
沖縄が日本の体制に組み込まれたのは400年弱前の話です。
その後も長く独自のシステムの中で暮らしてきましたし、戦後の一時期、パスポートが必要だったこともあります。
それでも沖縄は、確固として日本です。
この事例は、日本人と世界の関係を考える上で参考になるのではないでしょうか。


ぼくの「歴史」に対する考え方ですが、過去問題のようなものだと思っています。
歴史は後悔の足跡です。
参考事例であり、それ以上の意義を感じません。
ですから、現代の日本人の役割を考えたとき、歴史的意義を踏まえて答えることができません。
一つは世界的視野に立って物事を考える現代、アジア諸国はともかくとして、欧米やアフリカ各国との交流の歴史は、日本の歴史のほんの一部に過ぎないからです。


では日本人の役割とは。
今の日本人に課せられているのは、「平和の使者」であるべきだ、ということに尽きます。
もちろん戦争を止める、解決する、ということだけを指してはいません。
発展途上国の中には、途上国から先進国にのし上がった日本に対する敬意もあると、かつて国際交流隊員だった人から聞きました。
争いが貧困から産まれることが多々ありますから、この敬意にこたえる事も平和の使者としての義務でしょう。
これは悠久の歴史ではなく、ほんの60年前の戦争での経験、世界唯一の戦争被爆国であるという事実によります。
誤解を恐れず言い切ってしまえば、世界が平和になるのであれば「日本」という国の枠組みがなくなっても構わないと思います。
もちろん平和な日本の中でも都道府県、市町村の枠組みがあるように、完全にボーダレスになれるかというとそうではないでしょうが。
この考え方を自然淘汰だと言われるのであれば、その通りだと思います。


ぼくはアナーキストではないので、国家体制の重要性は自分なりに認識しているつもりです。
ですから、いま書いたようなことは極論です。
それに前提、平和になれば、ということもいまのままでは夢のような話ですものね。
戦後精いっぱい努力した日本人たち、あるいは日本を支援してくれた国、人たちのためにも、平和を享受する日本は、全力で力を尽くすべき、これがぼくの考える日本の存在意義です。


音楽はもっとも時代を反映する、言い換えれば移ろいやすい文化だと思います。
Jポップを始めとするいまはやりの音楽に、英単語、英文が入っていないものは少ないですよね。
ピップホップやR&Bなど、欧米文化に対するあこがれはこれまでにも顕在化していましたが、また隣国・韓国文化も大波のように押し寄せています。


本格的な属国支配を受けたことがないためもあるでしょう。
日本人とは何か、を考えている人間は、知らぬ間にマイノリティーになっているかもしれません。