「映画」光州5・18

事件は1980年5月17日から28日にかけて。
映画館の支配人がこう言っていました。
「韓国でこんな事件が起こっていたころ、日本では『ママチャリ』ですよ」。
ちょっと考え込んでしまいました。



あらすじを簡単に
タクシー運転手ミヌはソウル大を目指す秀才の弟ジヌと2人暮らし。
ジヌと同じ教会に通う看護師シネに片思いをしていた。
5月18日、3人で映画を見に行くと、映画館に逃げこんだ活動家を追いかけ、軍人が入り込んできた。
警棒で殴りつけ、血が噴き出す凄惨な光景は映画館だけでなく、街中の至る所で繰り広げられていた。
同級生が軍隊に撲殺されたジヌは活動に傾倒。
5月21日、軍隊が撤退すると聞きつけた市民が行うデモに、ジヌもミヌも参加していた。
だが撤退することなく、市民に銃口を突きつける軍隊。
ジヌはミヌの目前で、弾丸に打ち抜かれる。



当時の韓国の政情が分かっていないと、ただのお涙ちょうだい映画になりかねません。
ぼくがそうなんですが。


当時の韓国は、朴正煕がクーデターで政権を奪取して以来、軍事政権が続いています。
1980年当時、権力を掌握していた全斗煥も陸軍上がりで、クーデターを起こしています。
この事件は「五・一八民主化運動」と呼ばれますが、直近韓国史の「おでき」ではなく、ある種の必然を持って勃発したということを、少なくとも知っておいた方がいいでしょう。
ウィキペディア参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6



1954年に経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言してから、少なくとも本州では軍人が大手を振って闊歩すると言うことはなかったと思います。
1980年、当然ぼくは生まれているわけですが、こんな直近に、軍人が自国民を射殺するという事件が、隣国・韓国で起こっているという事実はショックでした。
一市民が否応なしに事件に巻き込まれていく様は悲劇です。


監督キム・ジフンは1971年生まれで、おそらく「光州世代」と呼ばれる人の一人でしょうから、努めて客観的に考察しても、虐殺された人々に寄り添う映像になるのは仕方がありません。
それを差し引いてもジヌが死ぬまでの流れはすばらしかったと思います。
キャラクターの性格付けも鮮明でしたし、銃弾飛び交う大通りでジヌを抱き上げるミヌの姿は、事件の一つの象徴として、早めのクライマックスだったと思います。


それだけに後半が余計だったかな、と感じました。
市民軍が道庁にこもれると言うことは、道庁にいた職員達を追い払ったと言うことで、これってクーデターじゃないんでしょうか?
道庁にこもった市民軍が政府軍を迎え撃つ場面、事前に十分予想できたはずの展開ながら、あれだけバタバタ倒されちゃうと興醒めです。
そして出入りするミヌ、優柔不断というより、何がやりたいんだ、という感じです。



ラスト、市民に「戦い」を呼び掛けるシヌにぴくりとも反応しない街の姿は悲しく映ります。
後半、映画としてよりも記録として重要なものではないでしょうか。



あと、最後までミヌとシネが想い合っているということに確信が持てませんでした。
むしろシネはジヌの方が好きなんじゃないんだろうか?



金額で評価すると   (標準  ¥1500)



¥1400



でした。



見て、根性を入れ直すべきではないでしょうか。



最後に毎回どうでもいいことですが、
キム・サンギョン豊原功補 or 伊原剛志
イ・ヨウォン  =ともさかりえ
に見えて仕方ありませんでした。



公式サイト
http://may18.jp/