[時事]山口・光市母子殺害、死刑判決に

1999年、23歳の母親と11カ月の女児を殺害した元少年に高裁は死刑判決を言い渡しました。
弁護側は上告したようですが、最高裁無期懲役を差し戻したという経緯からすると、判決が覆る可能性は低そうです。
http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220010.html



本村洋さんがまっとうな人間でよかった、そう思いました。
判決後の会見で、彼は司法に「感謝」した後、こう述べました。
「この事件で妻、子どもそして被告と、3人の命が失われることになる。これは社会にとって重大な損失。この判決の重みを感じて、今後犯罪のない社会をつくるためにどうすればいいかを考える契機にしなければいけない」
彼が被害者感情にまかせて「うれしい」と述べてしまえば、それは単なる「報復」にすぎません。
司法における少年犯罪に対して大きな影響を与えてきた人間が、少なくともこの判決を受けたコメントとして、復讐者ではないと述べたことは意味があると思います。
会見を見る限り、影響を十分に認識した上で、言葉を選んで発言しているように受け取れました。



彼とぼくは同い年です。
23歳で子どもを持った彼は、言わば父親の先輩ですが、妻と娘を失い、独りで闘うことを余儀なくされています。
事件の2年後、2001年にドキュメント番組を見たぼくは、独身ながら彼の言葉に強く心を揺さぶられたことを覚えています。
今、ぼくは2児の父親になり、4人家族で暮らしています。
こんな仮定は無意味ですが、事件がなければ彼は9歳の女児を持つ父親であり、ひょっとしたら第2子、第3子に恵まれ、家族を増やしていたかもしれません。
同じ1975年に地方で生まれたぼくと彼との間に違いなんてそうありません。
ただ彼の身近に大きな悪意を持つ人間がいて、彼に襲いかかっただけなのです。



かつて深夜のドキュメントで涙を流したぼくは、今朝のワイドショーでリポーターが「主文後回し」を伝えた瞬間、子どもたちの前にもかかわらず、嗚咽をこらえ切れませんでした。
もちろん7年前の涙とは意味合いが違うものでした。
上告が退けられて、死刑が確定したとしても、彼が得るものは何もありません、皆無です。
この9年間にぼくが得てきたものをすべて失くしたら、と想像すると、絶望感の大きさに身震いしてしまいます。



ぼくが彼をあわれむことはありません。
でも9年は失ったものを取り戻す為にはあまりに長すぎるブランクなのではないでしょうか?
受刑者のように耐え、長い闘いを終えようとしている彼が、今から生きていくためにすがれるものがあればいいと、ただただ願うだけです。